東海地方の城
1 駿府城 
2 掛川城 
3 犬山城 
4 名古屋城
5 岐阜城 
平成16年11月18日開設
駿府城


 応永11年(1404年)、今川氏が築いた館が起源とされ、その後天正13年(1585年)に徳川家康によって再整備が始まり慶長13年に完成しました。
 江戸時代には、幕府の直轄領となり、城代が置かれていました。
 平成元年、二ノ丸東南隅に三層二重の巽櫓が復元されました。 
復元された巽櫓
発掘された本丸石垣  
掛川城


 応永年間(1394〜1427年)に、豪族鶴見氏によって築かれた砦が始まりとされています。その後、駿河守護今川義忠が文明年間(1469〜1486年)に、遠江支配の拠点と城を築きました。天正18年(1590年)、城主となった山内一豊は、城を大改築しました。その後、城主は松平、朝倉、青山、本多、北条、井伊、小笠原、太田氏と変わり明治を迎えましたが、城は嘉永7年(1854)の大地震で被害を受け、取り壊されました。
 平成2年から発掘調査や史料を元に、木造により復元されました。







二の丸御殿
 嘉永7年の大地震後、安政2年(1855)からに建造されたもので、城主の居所や藩の政庁、諸役所として使用されていました。
 現存する御殿として、全国的にも数少ない建築物で、昭和55年に国指定の重要文化財となっています。

四足門と天守 門の右側に復元された三日月堀
  二の丸御殿
   天井板に刻まれた太田氏の家紋「キキョウ」
犬山城


 文明元年(1469年)に、室町幕府管領斯波氏の家臣織田氏が、築いたのが始まりと云われ、天文6年(1537年)現在地に天守が造営されました。その後、元和3年(1617年)に成瀬氏が城主になり、天守に唐破風が増築されました。以後成瀬氏が明治時代まで居城としました。
 犬山城天守は、三層四階、地下一階で日本最古の天守として国宝に指定されています。
名古屋城


 大永年間(1521〜1528年)、今川氏によって築かれたのが始まりと云われ、その後江戸幕府は、東海道の要所として諸大名に普請を命じ、慶長17年(1612年)に現在の形が完成しました。その後、明治維新を向かえるまで、徳川御三家の筆頭である尾張徳川家が城主となっていました。


表二之門(国重要文化財)
 扉、門柱、冠木とも鉄板張りで非常にと堅固に造られています。袖壁は土塀で鉄砲狭間を開いて要害としての堅固さを示しています。




辰巳櫓(国重要文化財)
 外観は2階建ですが、内部は3階となっています。また、この櫓は創建当時の姿を伝えています。
  南二之門(高麗門形式)
表二之門(高麗門形式) 表二之門の内側
辰巳櫓 辰巳櫓の内部
岐阜城


 鎌倉時代に金華山山頂に建設された砦が、始まりと云われ、その後斎藤道三が城主となりますが、永禄10年織田信長によって滅ぼされ、信長が城主となりました。そして、関ケ原合戦後、廃城となりました。
 岐阜城は、山麓部に築かれた信長の「居館」と金華山山頂の「城」と2つの地域から構成されており、居館跡には、冠木門と虎口の土塁が復元されています。