関東地方の城
1 足利氏館
2 小田原城
平成16年11月12日開設

足利氏館

 足利氏の祖、足利義兼が文治年間に築いたといわれる館は一辺が200mほどの、典型的な方形武士館で、周囲には堀と土塁が廻っています。現在、鑁阿寺(ばんなじ)という寺の境内となっています。
 隣には、「日本最古の学校」といわれる中世の大学「足利学校」があります。

館を廻る土塁と堀 北門(薬医門)

小田原城

 小田原城は、15世紀初めごろに築城され、明応4年(1495年)小田原北条氏が城主になってから、関東支配の拠点として本格的に整備されました。特に、城下を囲む大外郭の完成により規模は最大に達し、日本最大の中世城郭となりました。
 その後、江戸時代になると城の規模は三の丸以内に縮小され、近世城郭として再整備されました。 明治3年、廃城となり、その後大正12年(1923)の関東大震災により石垣も崩壊しました。



銅 門(あかがねもん)

 銅門は、二の丸の表門で、馬出門土橋からこの門を通って二の丸御殿、本丸へと進むようになっていました。
 銅門の名前は、扉などに銅の飾り金具が用いられたことに由来しています。
 現在の門は、発掘調査などを参考に、平成9年に復元されたものです。 桝形門と呼ばれる形式です。

常盤木門

 本丸正面に位置し、城門の中でも、最も大きく堅固に造られていました。
 元禄16年(1703年)地震で崩壊した後、宝永3年(1706年)多門櫓などからなる桝形門で再建されたいました。
 現在の門は、昭和46年(1971年)に復元されたものです。
 常盤木とは、門の傍らには植えられていた松の木が常に緑色をたたえ何百年も生長することにちなんで、小田原城が永久に繁栄することを願って、常盤木門と名付けられたといわれています
銅 門(あかがねもん)
常盤木門 関東大震災により壊れた石垣
練塀の製作過程が分かる展示物 関東大震災により壊れた石垣
大空堀と土塁の遺構