北陸地方の城
1 富山城 
2 金沢城 
平成16年11月18日開設
富山城


 天文元年(1532年)、水越勝重によって築かれ、その後城主は小笠原氏、佐々氏、前田氏と変わり明治を迎えました。城は、慶長14年(1609年)の火災により一時廃城と化していましたが、寛文元年(1661年)修復され富山前田氏の居城として使用されました。 

 かつては、五層の天守建てられ、石垣の上には金沢城と同様、唐破風付出格子がついた海鼠塀がめぐっていたと云われています。

 現在、本の丸枡形虎口の石垣上には、三層の模擬天守が建てられています。
金沢城


 天文15年(1546年)、加賀一向一揆の本拠となった本願寺の金沢御堂が、この地に建てられたのを始まりとされています。その後、この金沢御堂を制圧した佐久間氏は、城郭へ整備したと考えられています。そして、天正13年(1585年)前田利家が入城後、近世城郭へと大修築を行いました。


石川門

 金沢城の搦手(裏口)門で、高麗門の一の門、櫓門の二の門、続櫓と2層2階建ての石川櫓から構成された枡形門で、天明8年(1788年)に再建されました。鉛瓦や海鼠塀が外観の特徴となっています。




菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓

 木造城郭建築物として、発掘調査等の資料を基に平成10年から平成13年にかけて復元されました。
(菱櫓)
 菱櫓はその名のとおり菱形の建物で、柱もすべて菱形の物見櫓です。3層3階の二ノ丸では、もっとも高い建物です。

(五十間長屋)
 菱櫓と橋爪門続櫓をつなぐ長屋で、2層2階となっています。この建物は、戦の際に二ノ丸を守るための武器等の倉庫で、石落しや鉄砲狭間となる格子窓、白塗漆喰壁や海鼠壁で防火構造になっています。

(橋爪門続櫓)
 二ノ丸の正門である「橋爪一の門」からなる橋爪門枡形を見張る物見櫓です。


石川門の全景 櫓門の二の門
「出し」と呼ばれる出窓の内側 2層2階建ての石川櫓
石垣に刻まれた刻印1 石垣に刻まれた刻印2
橋爪門続櫓の全景 菱櫓と五十間長屋の全景
五十間長屋の2階内部 「出し」と呼ばれる出窓で石落しがあります
橋爪門続櫓 橋爪門続櫓より石川門を眺める
太鼓塀(たいこべい)
本丸石垣