厩跡


(2006年10月9日開設)
工事中の状況 幕末藩士・屋敷絵図の厩
1 寛文10年頃より以降に厩の再整備が行われ、その後幕末までの建物跡が8棟検出されました。内、掘立柱の1棟を除き、他は全て礎石建物でした。

2 細川氏築城から上記1までの建物跡が、11棟検出されました。内、掘立柱が8棟で、残り3棟のみ礎石建物でした。
 左の写真は、厩の西側上部で、慶応2年(1866年)の第2次長州征討時に、自ら小倉城に火を放った際に出来た焼土に覆われていました。
 南櫓台の石垣築造の為、設置された胴木の出土状況。(胴木は、軟弱な地盤に石垣を積む際に、不等沈下を防止するために丸太等で造った土台)  南櫓台の石垣内側に見つかった石垣と舟で運搬した築城時の石材を陸揚げした考えられる舟揚げ場の傾斜地が見つかりました。また、この石垣の裏込め石の中から金箔押しの鬼瓦の破片が出土しました。なお、鬼瓦は毛利勝信時代の建物に使用されていたと考えられることから、この石垣は、その後に造営されたものです。  左の石垣のさらに内側から見つかった石垣。なお、この間にも未完成の石垣が見つかっています。さらに、この石垣からさらに内側に石垣が見つかっています。従って、左端の石垣から内側に4列の石垣が見つかったことになります。
1号井戸 方形石組竪穴遺構 2号井戸
 毛利元就が、永禄12年豊後大友氏との戦いの折、立花城攻略のため築いた小倉城の石垣が出土しました。紫川の湿地帯に石垣を築くため、まず30〜50cmの礫で短冊形の小区画を作り、その中に多量のこぶし大の礫を充填しその上に土を載せて整地し1区画を完成。その作業を、順次繰り返し、小区画を整地していました。
参考文献
小倉城跡1(北九州市埋蔵文化財調査報告書第150集)1994年4月30日発行
小倉城跡2(北九州市埋蔵文化財調査報告書第196集)1997年3月31日発行
小倉城跡3(北九州市埋蔵文化財調査報告書第197集)1997年3月31日発行