外堀と土塁跡

(そとぼり と どるい あと)


2004年10月18日開設(2006年9月17日更新)
外堀T[大手町遺跡] (2004年10月撮影)
1 右の幕末絵図の黄色い部分を、今回発掘調査したとのことでした。
2 そして、水色の堀の部分が今回の調査に明らかになった部分です。
3 また、堀の外である、図の上の部分から町屋が発見されました。
4 
九州地区では、初めて確認された障子堀(堀の底に堀と直交する仕切り)です。
5 この堀が、完成したときは、空堀(からぼり)でしたが、早い段階で堀障子の部分は人為的に埋め戻されたそうです。
※ 堀障子とは、堀の底を2間(3.6メートル)から3間(5.4メートル)ほどの間隔で、半間(0.9メートル)程を細長い台形状に掘り残して、深さ1メートル以上のくぼみを連続して築いた堀で、堀に侵入した敵兵の動きを奪う高度な防御施設です。
※ 堀の大きさ
幅:16メートルから20メートル  深さ:最深部で8メートル  傾斜角度:約60度
 堀と堀障子の全景を
南側から望む。
 左の全景を北側から望む、突き当りのマンション付近に、篠崎口の門がありました。 堀障子の状況 1 
堀障子の状況 2  堀障子の跡から発見された、槍の穂先や小太刀。  堀障子の跡から発見された、小太刀や
桐紋が柄に細工された小刀。
 堀の外に発見された町屋の部分  町屋の中に設置されている溝で、外堀に流れ込んでいました。  町屋の中に設置されていた石組みの井戸
大土塁[備後守屋敷南側] (2006年8月撮影)
1 右の幕末絵図の黄色い部分を、今回発掘調査したとのことでした。
2 上塁は丘陵上の表上を除去した後、堀を掘削して出た砂礫上を盛上て造られています。表上を除去した理由は、盛土の砂礫上がすべって崩壊するのを防ぐためと考えられています。
3 絵図には土塁の上には塀がありますが、土塁上部か削られているため、塀の痕跡は見つかつていません。
4 今後、土塁手前の堀を調査するとのことでした。堀の調査では、
障子堀が期待されています。

※現存土塁の大きさ
 長さ:105m   最大幅:45m   高さ:8m
土塁全景1
(土塁手前が堀になる)
土塁全景2
(土塁の上部は後世に、
かなり削られています。)
土塁全景3
土塁の内側
(屋敷地との間に、排水溝が設置されています。)
土塁の断面1 土塁の断面2
(土塁の外側に向けて、
地山が下がっているのが
地層の色からよく分かります。)
1985年当時の土塁の状況
遠景1
(まだ給水塔が建っています。)
遠景2 上の全景3の場所
土塁断面1
(中央部分が抉られている。)
土塁
(左の箇所を土塁上から撮影)
土塁断面2
(東端部分