蔵屋敷と明地


(2006年10月9日開設)
現在の状況 幕末藩士・屋敷絵図の蔵地と明地

北東部の石垣が復元されています。
 この場所は、紫川の中洲にあたり、築城以前は掘立柱の建物や中世の城郭に伴う石垣が発見されています。細川氏の本格的な築城によって、橋台や石垣の建設そして埋立て造成が行われ、舟着場や侍の屋敷地として使用されていました。そして江戸時代の中頃に蔵屋敷として再整備され、絵図にある蔵が立ち並んでいました。
蔵屋敷の東側、紫川に面した部分です。


1 橋台部
2 舟着場
3 蔵屋敷
4 明地
5 舟入
6 紫川 
蔵屋敷への入口である橋の橋台付近 1 蔵屋敷の北西側で下部石垣から下が舟入り部です。なお、石垣は創建時のものです。 2 左の写真の南側の場所で、下の何もない所が明地です。
蔵屋敷北東部の石垣隅部1 蔵屋敷北東部の石垣隅部2
蔵屋敷東部の石垣 蔵屋敷北端部の石垣
参考文献
小倉城跡1(北九州市埋蔵文化財調査報告書第150集)1994年4月30日発行
小倉城跡2(北九州市埋蔵文化財調査報告書第196集)1997年3月31日発行
小倉城跡3(北九州市埋蔵文化財調査報告書第197集)1997年3月31日発行