小倉城の門一覧表
(城には、守りのため数々の門がありました。)
2002年10月10日開設
(2006年9月18日更新) |
位置 |
門の名前 |
門の
構造 |
門の
向 |
門の大きさ |
開門の状況 |
門番の人員 |
役の役割 |
現在地 |
外郭 |
門司口門 |
総石垣の内枡形虎口 |
南北 |
門の両側の石垣は、巨石で築かれており明治中頃までその一部が残っていました。 右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます。 |
昼夜常に開門 |
20人 |
赤坂を経て、新町大里より門司に至る街道(門司往還)への出入口 |
山陽新幹線の高架下が門跡 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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外郭 |
富野口門 |
総石垣の内枡形虎口 |
南北 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます。 |
非常時の門で、不明(あかず)の門
身分ある人の遺骸や、犯罪者の移動の際に使用されました。 |
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門の内側は、真浄寺の土地となっており、出入の道路が描かれていません。 |
堺町二丁目4番の小倉東公民館前が門跡 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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外郭 |
中津口門 |
総石垣の内枡形虎口 |
南北 |
門の両側の石垣は、大谷から運んできた大きな石で築かれていました。右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます。 |
朝7ツ(4時)に開門し、夜9ツ(12時)に閉門 時間外は、道中切手持参の者だけが通行を許されていました。 |
2人 |
曾根・苅田・大橋を経て中津に至る中津街道への出入口 |
紺屋町14番南端と古船場9番の北端の間が門跡、又石垣の大石は、明治34年高倉稲荷神社に移設していましたが。その後、神社の廃止に伴い、八坂神社へ再度移設されています。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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外郭 |
香春口門 |
総石垣の内枡形虎口 |
東西 |
門の両側の石垣は、明治中頃まで残っていました。 右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます。 |
朝7ツ(4時)に開門し、夜9ツ(12時)に閉門 時間外は、道中切手持参の者だけが通行を許されていました。 |
2人 |
呼野・金辺峠・採銅所を経て香春に至る街道(香春)への出入口 |
馬借二丁目7番と馬借三丁目7番の間、モノレール線路下の道路東端が門跡 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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外郭 |
溜池口門 |
総石垣の内枡形虎口 |
東西 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます。 |
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西曲輪から帯曲輪への出入口 |
大門二丁目4番7号が門跡 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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外郭 |
紺屋口門 |
土手による内枡形虎口 |
南北 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます |
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竪町一丁目3番と8番の間を旧電車通りに出るところが門跡 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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外郭 |
到津口(筑前口)門 |
土手による内枡形虎口 |
南北 |
門の両側の石垣は、明治中頃まで残っていました。 右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます |
昼夜常に開門 |
20人 |
長崎街道への出入口 |
田町17番が門跡 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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外郭 |
清水口門 |
土手による内枡形虎口 |
南北 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます。 |
非常時の門で、不明(あかず)の門 |
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絵図では出入口の道は塞いでいる。 |
金田町の新小倉病院の前を通って、福岡地検小倉支部の裏で道を右折してすぐの突き当りが門跡 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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外郭 |
篠崎(木町)口門 |
土手による内枡形虎口 |
南北 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます。 |
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門の東側に千束藩主小笠原備後守の屋敷がありました。 |
大手町13番の北九州食料センター北側の空地西角付近が門跡 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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外郭 |
蟹(雁)喰口門 |
土手及び石垣による内枡形虎口 |
東西 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます |
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木町への出入口 |
大手町15番の大手町公園グランドの西側が門跡 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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外郭 |
埋門(1) |
総石垣の内枡形虎口 |
東西 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます。 |
非常時の門で、不明(あかず)の門 |
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西曲輪(魚町)から海岸への出入口 |
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幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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外郭 |
埋門(2) |
総石垣の内枡形虎口 |
東西 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます |
非常時の門で、不明(あかず)の門 |
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東曲輪(船頭町)から海岸への出入口 |
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幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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外郭 |
埋門(3) |
総石垣の内枡形虎口 |
東西 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます |
非常時の門で、不明(あかず)の門 |
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東曲輪(京町)から海岸への出入口 |
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幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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城内 |
大手門 |
総石垣の内枡形虎口 |
南西 |
右の幕末絵図から、櫓門と推定される。 |
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築城当初の細川時代は、こちらが裏門の搦手門でありました。 |
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幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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城内 |
大手先(波破羅)門 |
総石垣の内枡形虎口 |
東西 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます |
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大手門の手前の門 |
天守閣下の濠の角にありました。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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城内 |
槻門 |
総石垣の内枡形虎口 |
南北 |
二重櫓門で土間は瓦敷き。 |
この門は、藩主、公儀の役人以外は、千束藩主、家老職、開善寺、宗玄寺、大隆寺、広寿山、成願寺の住職、英彦山の座主のみが通行を許されていました。 |
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本丸への出入口 |
発掘調査の結果、慶応2年の火災跡が顕著に残っていました。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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城内 |
鉄 門 |
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南北 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます |
中老以下の武士は、この門から登城しました。 |
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本丸への出入口 |
階段の左半分約2メーターが門跡 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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城内 |
西の口(搦手)門 |
総石垣の内枡形虎口 |
南北 |
右の幕末絵図から、櫓門と推定されます。 |
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表の大手門に対し、裏に当たる搦手門です。 |
松本清張記念館から濠の横を抜け、突き当りの右が門跡。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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城内 |
多門口門 |
総石垣の内枡形虎口 |
東西 |
右の幕末絵図から、櫓門と推定されます。 |
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北の丸から本丸への出入口 |
門の北の丸入口部分に埋甕が2個ありました。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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城内 |
北口門 |
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南北 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます |
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北の丸から下台所への出入口 |
下屋敷から八坂神社への参道沿いの門を入って右側が門跡。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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城内 |
不明ノ門 |
総石垣の内枡形虎口 |
東西 |
右の幕末絵図から、櫓門と推定されます。 |
非常時の門で、不明(あかず)の門 |
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北の丸から二の丸への出入口 |
八坂神社への参道沿いの門を入って右側が門跡。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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城内 |
桜口門 |
総石垣の内枡形虎口 |
南北 |
右の幕末絵図から、櫓門と推定される。 |
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二の丸から三の丸への出入口 |
大門一丁目1番の旧ひびき荘の北東角付近が門跡 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
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城内 |
蹴違門 |
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東西 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます。 |
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御花畠から柳の馬場への出入口 |
思永中学校東側小倉歯科医師会館玄関付近が門跡。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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城内 |
松の門 |
総石垣の内枡形虎口 |
南北 |
右の幕末絵図から、櫓門と推定されます。 |
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松の丸から三の丸への出入口 |
NHK北九州放送局の鉄塔が建っている付近が門跡。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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城内 |
虎の門 |
総石垣の内枡形虎口 |
東西 |
右の幕末絵図から、櫓門と推定されます。 |
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二の丸から本丸への出入口 |
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幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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城内 |
四丁浜(カクシ)門 |
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南北 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます |
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二の丸から紫川への出入口 |
虎の門前の濠の東詰めが門跡。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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城内 |
小的口門 |
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東西 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます |
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二の丸から御蔵所への出入口 |
城内1番,2番,3番,4番の交差する地点が門跡。 |
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幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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城内 |
思案(石)橋門 |
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南北 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます |
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二の丸から代米所や普請所への出入口 |
小的口門の南東にありました。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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城内から曲輪等 |
職人町口(中の口)門 |
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南北 |
右の幕末絵図から、櫓門と推定される。 |
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二の丸から職人町への出入口 |
元ダイエー小倉店と元小倉北区役所との間の道路で元八坂神社の鳥居の北側付近が門跡。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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城内から曲輪等 |
大坂門 |
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南北 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます。 |
大坂夏の陣で、大阪城が落城した後、徳川家康から拝領したものを移したので大坂門と言うようになったとの伝承があります。 |
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二の丸から職人町への出入口 |
室町一丁目3番日石給油所と,大門一丁目1番国民金融公庫との間の道路が門跡。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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城内から曲輪等 |
竪町(田町)口門 |
土手による内枡形虎口 |
南北 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます。 |
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三の丸から竪町への出入口 |
大門一丁目5番の思永中学校運動場西側土塁付近が門跡 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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城内から曲輪等 |
小姓町口門 |
土手による内枡形虎口 |
南北 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます。 |
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三の丸から田町への出入口 |
城内6番の西小倉小学校裏門より少し北側が門跡。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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城内から曲輪等 |
篠崎口(西の出口)門 |
土手と石垣による内枡形虎口 |
南北 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます。 |
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三の丸から篠崎本町等への出入口 |
城内7番の元の小倉労働基準監督署西側付近が門跡。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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城内から曲輪等 |
南の口(中の)門 |
総石垣の内枡形虎口 |
東西 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます。 |
非常時の門で、不明(あかず)の門 |
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三の丸から篠崎本町等への出入口 |
城内4番54号の元勝山公園管理事務所付近が門跡。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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城内から曲輪等 |
小屋口門 |
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東西 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます。 |
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普請所から篠崎本町等への出入口 |
勝山公園東南部石垣下で、城内4番と大手町10番丸和興産前の石垣の曲がり付近が門跡。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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曲輪内 |
常盤橋(御)門 |
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東西 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます。 |
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西曲輪から東曲輪への出入口 |
常盤橋の西側袂が門跡。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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曲輪内 |
西三つ門 |
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東西 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます。 |
三つの小門があり、一つは藩主が出入し、一つは武士が、もう一つは町民や農民が乗船する場所と定められていました。 |
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船への乗船口 |
常盤橋門の南側の川岸にあった。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
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曲輪内 |
一つ(浜出口)門 |
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南北 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます。 |
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海岸の船発所への出入口 |
常盤橋門の北側の川岸にありました。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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曲輪内 |
大門 |
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東西 |
門の両側の石垣は、巨石で築かれており明治末頃までその一部が残っていました。 右の幕末絵図からは、櫓麗門と推定されます。 |
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長崎街道の通路で、魚町と大門町との出入口 |
大門2丁目2番妙乗寺の門前から東へ約30メーターの道路付近が門跡。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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曲輪内 |
冠木門 |
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南北 |
右の幕末絵図からは、高麗門、棟門の何れかの形と推定されます。 |
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篠崎から蟹喰町への出入口 |
大手町13番28号上村紙業段ボール工場の東端付近が門跡。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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曲輪内 |
豊後橋門 |
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東西 |
右の幕末絵図からは、高麗門、薬医門、棟門の何れかの形と推定されます。 |
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西曲輪から東曲輪への出入口 |
豊後橋の西側付近が門跡。 |
幕末・藩士屋敷絵図から |
現在の状況 |
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