代米御蔵


2006年11月25日開設

御蔵には、門脇に2棟、中庭に3棟がコの字形に配置されていました。
幕末・藩士屋敷絵図の代米御蔵 発掘中の全景
南蔵
南蔵の全景
南蔵雨落溝南東角から見た写真で、
南蔵の規模は、遺構や出土物から
東西15間、南北4間

礎石建ての木造構造で寄棟瓦葺
、外壁の下部はナマコ壁であったと
考えられています。
南蔵の礎石 慶応2年8月の城自焼の焼土が詰まった、、雨落溝
西南蔵
西南蔵の全景
西南蔵の規模は、基礎の石垣から
南北25m、東西7.8mの大きさでした。
西南蔵の出入り口付近
蔵の東側、代米御蔵の中央庭側に面して礎石が2個飛び出して設置されていることから、出入り口と推定されています。間口は2.1mです。
西南蔵の雨落溝南西角部分
西南蔵の整地層の状況 西南蔵の雨落溝西側
手前が西北蔵西側の雨落溝で中ごろが西門、奥が西南蔵西側の雨落溝で、底石を撤去する前の状況です。
西南蔵の雨落溝西側
左雨落溝の底石を撤去した後の状況です。
西門
西門の全景
中央が西門で左が西南蔵の礎石
門の規模は、幅2間の4m
中央が西門で右が西南蔵の礎石
門の構造は、軸受穴から寺社に多い軸吊り型で、門の片側を開けた時に止める柱の基礎となる控え石が門の内側に残っていましたので内開きと判明しました。また、敷居石が4石残っており、磨耗状態から見てかなりの使用頻度が伺いられます。
西門の南側門礎石と芯部の穴
門礎は、南北83cm、東西66cmの自然石で、軸受穴は径が9cm、深さ5cmで開閉部分の90度は数ミリの段差がついていまいした。また軸受穴全体に酸化色の鉄錆が残っていたことから、門の軸は鉄芯であったことが判明しました。
西北蔵
西北蔵と西側通路
右上が西側通路で左下が西北蔵になります。蔵の南北の長さは約25mと推定されています。
西北蔵西側の雨落溝
左下の石組みが雨落溝です。
 
 
北側の1号堀
舟入りとの境を仕切っていた堀で、幅4m、全長76.5mが発掘されました。深さは、当初1.85mありましたが、19世紀代には、埋めたれられ幅0.6mから0.75mの溝になっていました。
西側 東側 底面には玉砂利がひかれていました。
参考文献
小倉城代米御蔵跡T(北九州市埋蔵文化財調査報告書第271集)2002年3月31日発行
小倉城代米御蔵跡U(北九州市埋蔵文化財調査報告書第272集)2002年3月31日発行
小倉城代米御蔵跡V(北九州市埋蔵文化財調査報告書第293集)2003年3月31日発行
小倉城代米御蔵跡W(北九州市埋蔵文化財調査報告書第313集)2004年3月31日発行