代米御蔵
及び
御普請所

石垣及び櫓跡



2006年9月17日開設
(2006年11月25日更新)
幕末・藩士屋敷絵図
御普請所東側の石垣
及び櫓


[絵図内の番号1番及び2番]
1番の石垣全景及び右側が2番の石垣 1番石垣の北端部@
1番の石垣北端部A この北端部に櫓が建っていました。 櫓の大きさは、残っていた築石から
東西幅4.7m 南北幅6.6mでした。
御普請所北側の石垣及び突堤

[絵図内の番号3番及び2番]
3番の石垣全景 手前が2番の石垣
明治以降の整地により、長さ5mの最下段の石積のみが残っていました。
3番の石垣東端から北に延びる突堤
現在残っているどの絵図にも記載がありません。
突堤の拡大写真 3番の石垣拡大写真
使用されている石は全て自然石で、野面積みです。
御普請所通路脇の石垣

[絵図内の番号4番]
4番石垣の全景
手前が通路になります。
石垣上の天端部分
御蔵から御普請所へ至る
升形の石垣


[絵図内の番号5番]
升形に面する内側の石垣@
左側が土塁に埋もれていた石垣部分
升形に面する内側の石垣A
石垣と土塁に沿って石積みの排水溝が設置されていました。
5番石垣の堀側部分全景
右端の出角から奥が6番の石垣で、石垣の前が堀になります。
5番石垣の出角部分
幕末の絵図ではこの部分に櫓が建っていたことになっています。
胴木@
升形に面する内側の石垣の基礎
胴木A
堀側石垣の基礎
胴木B
堀側石垣の基礎
御普請所門脇北側石垣

[絵図内の番号14番]
御普請所門脇北側石垣の全景1 御普請所門脇北側石垣の全景2
御普請所門東側通路の雨落溝南東角 御普請所門脇東側通路の雨落溝北東角 御普請所門脇北側石垣整地層
御蔵から御普請所へ至る
升形の石垣


[絵図内の番号6番]
石垣の全景
手前の石垣(絵図の7番)は、代米御蔵の普請時に築かれた石垣です。その時期は、整地層から出土した陶磁器などから17世紀前半で細川忠利の時代と考えられています。
石垣の拡張部分

 代米御蔵の普請時に、築かれた石垣(手前)と、積み足された石垣。
石垣の拡張部分
土塁の中に埋め込まれていた石垣で、升形側から見たところ。
左の石垣全景

手前の土塁を全て撤去した後の状況です。
堀側石垣の断面

右の石垣は、代米御蔵の普請時に築かれた石垣です。
代米御蔵敷地の下に埋め込まれていた石垣@ 代米御蔵敷地の下に埋め込まれていた石垣A 代米御蔵敷地の下に埋め込まれていた石垣B
升形通路に面する石垣の土塁 堀底から見た石垣@ 堀底から見た石垣A
代米御蔵の石垣

[絵図内の番号7番]
代米御蔵の普請時に築かれた石垣
全景1
代米御蔵の普請時に築かれた石垣で、左は升形に面する石垣。
全景2
左石垣の東側。
石垣上の天端部分 堀底から見上げた石垣 石垣の断面
胴木1
石垣の基礎には、梯子胴木が使われていました。
胴木2 胴木3
代米御蔵の石垣南東出角

[絵図内の番号8番]

代米御蔵の普請時に築かれた石垣
南東出角の全景
手前堀のブルーシート部分に南東櫓の天井板が出土しました。
南東出角の南側全景
出角の全景 出角櫓の北東石垣
左上の石には、基礎材が載せられるように加工がされています。
出角櫓の北西石垣
手前が代米御蔵の敷地になります。
代米御蔵の北側石垣

[絵図内の番号12・13番]

全景
左が代米御蔵石垣(12番)、右側が御蔵側石垣(13番)、間が空堀となっていました。
御蔵側石垣(13番)の状況
この石垣からは、「五月十六日、たんこ、あたち山」等の墨書きが発見されてます。
参考文献
小倉城御普請所跡(北九州市埋蔵文化財調査報告書第258集)2001年3月31日発行
小倉城代米御蔵跡T(北九州市埋蔵文化財調査報告書第271集)2002年3月31日発行
小倉城代米御蔵跡U(北九州市埋蔵文化財調査報告書第272集)2002年3月31日発行
小倉城代米御蔵跡V(北九州市埋蔵文化財調査報告書第293集)2003年3月31日発行
小倉城代米御蔵跡W(北九州市埋蔵文化財調査報告書第313集)2004年3月31日発行
左は、発掘中の御普請所・代米御蔵跡があった勝山公園。

右は、現在の状況。