火野葦平と河伯洞
 北九州を代表する作家「火野葦平」の人となりに、ふれてみませんか
 河伯洞(かはくどう)では、火野さんの三男御夫妻が親切丁寧に案内して頂けます。

火野さん御夫婦の写真  開館時間:10:00〜16:30
 休館日:月曜日(休日の場合は、翌日)
      年末年始(12/29〜1/3)
 入館料:無料
 所在地: 北九州市若松区白山1丁目16番18号
        TEL:093-771-0124
火野葦平
  (ひのあしへい)[本名:玉井勝則(たまい かつのり)]

 ・明治39年12月、父・玉井金五郎、母・マンの長男として
  福岡県北九州市若松区(旧遠賀郡若松町)に生まれる。
 ・小倉中学校入学後、夏目漱石等の文学に接し、文学を志す。
 ・早稲田第一高等学院を経て、早稲田大学英文学部に入学するが
  中退し、一時家業を継ぐが、昭和12年応召。
 ・昭和13年、出征中に『糞尿譚』が第6回芥川賞を受賞する。
 ・軍隊時代に書いた『麦と兵隊』『土と兵隊』『花と兵隊』の兵隊三部
  作で、国民作家として脚光を浴びる。
 ・戦後、昭和23年から25年まで公職追放を受ける。
 ・追放解除後、活動拠点である若松の『河伯洞』と東京の『鈍魚庵』
  とで執筆活動を行い、『花と龍』など北九州を舞台とした数多くの
  作品を発表し、再び流行作家として活動した。
 ・昭和35年1月24日、河伯洞2階の書斎で自ら命を絶つ。
  享年53歳であった。
 ・昭和35年5月、『革命前後』及び生前の業績により日本芸術院賞
  を受賞する。
 上の写真は、(図録)「火野葦平」のTとUで、現在河伯洞にて好評発売中、各1冊1,000円。
河伯洞よりのお知らせ
未完成の問題作「中津隊」刊行 「中津隊」を読んだ者は、別人の火野葦平がこの作品の中にひそんでいるのを発見するだろう。これは、「兵隊作家」という仮装に加えられた重圧に火野が挑んだ戦いの深いツメ跡を遺す未完成の問題作だ。
                 作家 古川薫
 小説「中津隊」は、西南戦争で戦死した「中津隊」の隊長であった増田栄太郎を中心とした幕末・明治の激動の中に生きた下級武士、それを取り巻く人々の悲喜劇が見事に描かれた作品で、葦平作品の中で数少ない歴史小説である。また、「中津隊」は、戦時下の昭和19年1月24日から4月21まで「西日本新聞」に連載されたもので、完結を見ず葦平は「やむなき事情のため」と言って、第一編で連載を終わった。その背景に何があったのか今となっては知る術もない。
河伯洞での催し物 ・定例読書会の開催(現在25回を重ねる)
・思い出映画館の開催(現在16回を重ねる)
出版活動 ・河伯洞だよりを毎月発行(現在52号まで発行)
・会誌「あしへい」の刊行(現在五号まで発刊)
・(図録)「火野葦平」の刊行(現在T号を創刊)
・表具師馬さん拓本、装丁の「河童三禁図」掛軸を発売中
河伯洞
・河伯洞(かはくどう)は河童の棲む家という意味で、火野葦平 が河  童をこよなく愛したことから付けられた。
・葦平はこの河伯洞で昭和15年から昭和35年亡くなるまでの大半を過ごし、『花と龍』をはじめとして数多くの作品を生み出した。
・河伯洞は、父・玉井金五郎が息子、葦平のためにとその印税によって建てが、葦平は、戦友達の苦労への思いから、このことを負担に感じていたといわれている。
・また、この河伯洞に多くの友人、文学仲間を招き新年宴会を開くなど九州の文化人の交流の場となった。
・平成8年10月、遺族玉井氏から北九州市に寄贈され、市の指定文化財となる。
*書斎の机の上に「足は地に 心には歌と翼を ペンには色と肉を」と  書かれた色紙が置かれています。