史跡等の現状について
平成30年8月17日更新
1 地域力の低下について
  神社や祠等が消滅したり、社殿等の荒廃が起こっています。
2 生活の変化について
  村落間の道が消滅したり、森林や里山が荒廃しています。
3 文化財指定について
  小倉城をはじめとして、市内に城跡は70箇所程ありますが1件も指定されていませんでしたが、平成29年3月黒崎城が福岡県の文化財に指定されました。
4 その他
  史跡等いわゆる文化遺産の保護と開発の対立は、古くは平城京建設にあたり古墳が削られたりと昔からあっていますが、文化遺産は市民の貴重な財産であり、一旦無くなったりや壊れたりすれば復旧が極めて困難であるといった性質を持っています。従って、文化遺産を大切に保存し後世に伝えることは、現在に生きる私たちの責務です。特に、現在下記の点で文化遺産の既存や消滅が懸念されています。
懸念項目 現状 史跡名等
新着情報のマーク
解体の危機や恒久的な保存が望まれる建物
 活タ川電機からの無償譲渡などを受けた北九州市は、平成29年3月和館と日本庭園は保存・整備するが、洋館は老朽を理由に解体方針を明らかにした。
 その後、安研究者から保存の声が上がり、やがて日本建築学会九州支部、九州産業考古学会、北九州市の文化財を守る会、戸畑郷土史会 戸畑ロータリークラブ等多くの団体から保存を求める要望書が市に提出されました。また、マスコミでも保存問題が取り上げられたため、平成30年4月市は方針を転換し、保存を決めました。


   市民運動によって保存決定!
 戸畑区:旧安川邸の洋館
大正7年、安川敬一郎が隠居用に建てた木造2階建ての建物で、大正末期から昭和初期の最先端の洋風建築。
 
 建物の老朽化と所有者の諸事情により売却取り壊しの危機的状況にあったため、地元有志が、「三宜楼を保存する会」を結成し、募金と保存を求める署名活動を開始。平成19年には募金1,900万円と16,000名の署名を集め「保存する会」が所有権を取得。その後北九州市に寄贈され、平成24年保存修理工事に着手、平成26年3月には一部の修復を残して工事完了。現在、門司港を愛する8つの団体によって構成された「三宜楼運営協議会」が、建物を借り受け運営しています。
 一階では、食事ができるように「春帆楼」が営業しています。す。

   市民運動によって保存活用中!
 
門司区:旧料亭「三宜楼」
昭和5年に料亭として建てられた木造3階建。
 修復及び恒久的保存と公開・活用が望まれていましたが、服飾ブランド聖林公司さんが建物を譲り受け、4年近くの歳月をかけ修復し平成20年より店舗として積極的に活用が図られています。なお、平成24年8月県内最古の庁舎建築として国登録有形文化財(建造物)に指定されました。


   民間によって保存活用中!
小倉北区:旧小倉県庁舎・旧小倉警察署庁舎(旧岡田医院
明治4年から福岡県に合併される明治9年まで小倉県庁舎として使われていた建物。その後、小倉警察署等に利用されていました。
  修復及び恒久的保存と公開・活用が望まれていましたが、平成25年創立70周年記念事業として修復工事を行なわれ、平成30年5月10日国登録有形文化財(建造物)に指定されました。


   学園によって保存活用中
八幡西区:旧折尾警察署庁舎
明治42年の建築で、昭和16年折尾女子学園が譲り受けた校舎等に利用されていました。
 
 解体されてしまった建物 明治屋門司出張所 大分銀行門司支店
明治製菓戸畑工場  
  
遺構崩壊の危機に面している史跡
 花尾城で、木の根が張り石垣が大きく孕んでいましたが、その後2008年秋、一部崩壊してしました。(下の写真) 八幡西区: 花尾城の四ノ郭石垣
新着情報のマーク
道路拡幅によって消滅
 


 九州鉄道大蔵線の橋梁で、煉瓦積のアーチ橋は、八幡東区の茶屋町と尾倉町の2箇所に残っていますが、鉄橋の橋台は両国橋しか残っていません。この内文化財の指定を受けているのは、茶屋町橋梁のみです。
 平成25年両国橋及び河川の拡幅によって橋台と橋脚が撤去されました。
 なお、近々に撤去された赤煉瓦製の橋脚の一部が現地に保存・展示される予定です。

八幡東区: 九州鉄道大蔵川鉄橋橋台

2011年6月撮影

2011年6月撮影
宅地造成によって消滅が懸念される史跡 住宅地域内にあり、隣接地は全て住宅となっている。 小倉北区: 引地山城
植樹によって遺構の破壊が懸念される史跡  城跡等には石垣や地下に遺構がある為、安易に桜の木等の植樹を行なうと、将来木が大きくなったときに根が張り、上の例のとおり石垣や遺構を破壊してしまいます。また、木が大きくなると、眺望も悪くなり剪定の必要や、犯罪の温床にもなりやすくなります。 八幡西区: 黒崎城
八幡西区: 花尾城