No57 花尾城 八幡西区大字藤田一番
位置

八幡東区と八幡西区の境で、帆柱山の北側花尾山にあります。


交通機関

八幡駅前又は黒崎バスセンターから73番の西鉄バスに乗車し、花尾城東登山口で下車、バス停からは遊歩道が整備されています。

遺構の概略

郭は、12郭(内1つは、土塁を巡らしています。)
堀切り 2条、竪堀は、20条以上
注目すべきは、二ノ郭の北側斜面に築かれた二列の石塁(石階段)と大きな井戸(?)です。類例は、まだ知られていないため、目的等が、不明です。


築城由来

「筑前国続風土記」によると、建久五年(1194)、宇都宮上野介重業が築いたとあります。
文明十年(1478)、大内氏は、麻生氏の家督相続に介入、麻生近江守家延の籠る花尾城を内藤・問田氏ら3万余で攻め寄せ落城させました。
天正一四年(1586)、秀吉の九州平定の時、麻生家氏は降伏し、花尾城は小早川隆景の番城となったと思われます。
花尾城要略図

七ノ郭(要略図の8)

東側に南北に掘られた変形堀切りがあります。
他の郭は平坦ですが、この郭のみ西側が高くなっています。このため、「櫓」の名が付いたのだろうと思われます。

現地の標識には、「櫓跡」と書かれていますが、ここでは北九州市史を引用して七ノ郭と名づけています。これは、発掘調査や文献による櫓跡の根拠が無いため、山頂の本丸跡を主郭とした場合、七番目の郭という位置づけです。
西側から見た七ノ郭 東側から見た東の高まり部分
六ノ郭(要略図の6)

従来四の丸と呼ばれていた郭です。
西側から見た六ノ郭 東側から見た六ノ郭
六ノ郭から五ノ郭への登城道 1六の郭から、真ん中に竪堀が掘られている 2左の写真を曲がったところで六ノ郭方面を写す
3 2の写真位置から五ノ郭方面を写す 4左の写真を曲がったところで六ノ郭方面を写す
途中にある竪堀
六ノ郭から五ノ郭への入口 上の4の写真の曲がった所から写す 同じ箇所を東側から写す
五ノ郭(要略図の5)

従来三の丸と呼ばれていた郭です。
西側から見た五ノ郭 東側から見た五ノ郭
四ノ郭(要略図の4)

南側は、石垣とその上に積まれた石塁からなっています。
西側から見た石塁と石垣 東側から見た石塁と石垣
四ノ郭から三ノ郭への入口

この堀切り状の上に、三ノ郭から主郭へ渡る跳橋があったと考えられています。
三ノ郭への入口 三ノ郭から見た入口
三ノ郭(要略図の3)

従来二の丸と呼ばれていた郭です。
西側から見た三ノ郭 東側から見た三ノ郭の現在の入口
東側から見た三ノ郭 三ノ郭の真ん中にある石の群れ
主郭(要略図の1)

従来本の丸と呼ばれていた郭です。
主郭への入口 昭和6年に立てられた石碑
主郭から二ノ郭への土塁を見た
二ノ郭への土塁反対側の石積み 主郭から帆柱山城を望む
主郭から二ノ郭への通路
北側の通路 南側の通路のための石垣
二ノ郭(要略図の2)

従来出丸と呼ばれていた郭です。平坦な広さを確保するため、この郭は周囲を石垣で築きあげています。
主郭から二ノ郭及び皿倉山を望む 二ノ郭から皿倉山を望む
南東隅の石垣の状況 東側の石垣の状況
二ノ郭から石組遺構への石組みの階段 二ノ郭から望む 石組遺構に向かって弧を描く石組み階段
石組み遺構

従来、井戸と呼ばれていた遺構です。
東側階段より望む1 東側階段より望む2
石組みより東側階段を望む 石組みより西側石塁を望む
正面より 石組み遺構への道
石組み遺構を北側下から望む 石組み遺構を北側下から望む
石組遺構から大堀切りへの通路 石組遺構北側 石組遺構北側
大堀切り 石組遺構からの通路より大堀切りを望む 大堀切り
大堀切りから南側を望む 大堀切りから主郭方面を望む
九ノ郭(要略図の11)

従来、馬場と呼ばれていたところで、周囲を土塁が一周しています。なお、南側より北側の方が大きく築かれています。
九ノ郭から八ノ郭を望む 九ノ郭全景、周りが土塁で一段高くなっている
八ノ郭から九ノ郭を望む 九ノ郭内にある石の列
堀切り


城域の東側の境を示すように、尾根をV字型にカットした堀です。
堀切り 堀切から南側を望む
北側から堀切りを望む
 
十ノ郭(要略図の12)

北東方面を防御するために築かれた郭です。これまで見た郭と違い、未整備のため、現地は分かりずらいです。
郭の東側を望む 郭の北西隅を望む
郭の北西隅に築かれた竪堀 郭の北東隅に築かれた竪堀
十一の郭(要略図の13)

十ノ郭の北側に築かれた郭で、ここも未整備のため全景の写真を撮ることは出来ませんでしたが、この郭への連絡通路はよく残っていました。
堀切から十一の郭へ通ずる道 十一の郭から主郭方面への道で、路肩を石で補強している
主郭よりの眺望

標高351メーターの高さからは、
若松から戸畑まで一望に見渡すことが出来ます。
若松方面 戸畑方面
参考文献 北九州市史 古代・中世(平成4年1月25日発行 北九州市)
福岡県の城(1995.4.14発行 廣崎篤夫)
地域相研究 第16号(1986.4.5発行 地域相研究会)